住宅/ビル/マンションのデザイン建築設計事務所をしている片岡直樹が向学のために名建築を訪ねるシリーズです。
飯山市文化交流館なちゅらは、長野県飯山市に立地する文化ホールと地域交流施設です。 東京オリンピック・パラリンピックのメイン会場となる新国立競技場の設計を手掛けた建築家として有名な隈研吾先生による設計です。北陸新幹線飯山駅のそばにあります。
GA JAPAN 139 2016年3月発行に発表されています。
東側外壁
ガラスカーテンウォール足元のディテール砂利敷きの先にアッパーライトとしてのLEDが床面に仕込まれています。 外壁をカラマツで覆うことで、開口部のディテールを上手に隠しています。勉強になります。
南側エントランス
北 大ホール側外壁です。カラマツとコールテン鋼で覆われた外壁のスケールに合わせた目地の取り方が勉強になります。
搬入口のシャッターまわり
オープン目地なので 、コールテン鋼の外壁は飾りで、外壁としての性能はすべて下地のコンクリート壁が担っているようです。
搬入口のインターホンがコールテン鋼のプレートでカバーされています。
オープン目地の隙間から、コールテン鋼外壁とコンクリート壁下地のディテールが見えます。
大ホールのボリュームをコールテン鋼で覆うとインパクトがあります。
開口部周りのディテール
カラマツで覆われた外壁のディテール下地が見えます。また、裏面に虫が入るのを防ぐためなのかサランネットが裏打ちされていました。ルーバー建築に精通していて目地の幅の取り方にセンスを感じます。勉強になります。
コンクリート外壁とカラマツで覆われた部分の切り替えディテール
西側ナカミチエントランスです。木毛セメント版外壁とコンクリート壁の切り替わりディテール
ナカミチから西側エントランス方向の眺め
壁と木の化粧梁に隙間があり、構造体ではなくフェイクであることを隠そうとしていないようです。
本当の構造体である黒い鉄骨梁の下に木の梁や柱に見せた化粧材があります。積極的に木に構造材の真似をさせるというウソの構造表現手法をとっているように見えます。
階段幅のある鉄骨階段でササラのH鋼だけでなく下に壁から細い支えが出ています。 振動防止でしょうか。
木毛セメント板壁出隅ディテールです。コーナーガードのように一方向にアルミフラットバーがついています。目透かしの下から木下地が見えます。
外壁と内壁が木毛セメント板で連続している部分です。外壁側では目地幅を詰めているようです。雨が裏にまわりにくくするためでしょか。
外壁と内壁が木毛セメント板で連続している部分です。
本来、防火性を得るために下地で用いることが主流のこの建材を、内外装仕上げ材として利用することが採用されることがスゴイことだと思います。当然 ながら 木毛チップが ささくれだっているので手でさわれば痛いです。とても壁にさわろうとは思いません。公共建築でなくても普通クレームが怖くて使えないと思います。この建物は地元の人がおしゃれしてくるような場所だと思うので、洋服がひっかかってしまわないか気になります。
木毛セメント板で覆われた扉
床の小さな点検ハッチのディテールが勉強になります。
木毛セメント板壁の切り替わり部分にコの字が入っていました。
北側エントランスの風除室です。 斜材も構造の流れの表現も無視 、付け柱が屋根を支える表現も無視して途中で上部が止まっています。飾りの木材の表現が構造材をまねているように見せて実のところそうではない大胆な表現です。隈研吾先生がデザインするから成立するのではと思います。
一般の設計者が同じことをやろうとしても、居酒屋などの和風表現の付け柱やニセのログハウスを表現するのと同じ陳腐な表現になってしまう危惧があります。そもそも建築デザイン思想・表現にウソの構造表現という正直さが無いフェイクをここまで大胆に公共建築で行うことは、設計者にとっては、批判を受ける危険なデザインだと私は思いました。
ナカミチから鑑賞の庭
大ホール
大ホール 天井
大ホール 側壁
外部の立水栓がコールテン鋼でカバーされていて、グレーチングの流しのデザインがとてもカッコいいです。勉強になります。
多目的ルーム
ナカミチ 遊びの庭 水盤 テラス
男子トイレ
ルーバーデザインなどで木をふんだんに使うことで有名な隈研吾先生ですが、なぜ木に構造材のフリをさせたのだろうと思いました。隈研吾先生ほどの高名な建築家であれば、いくらでも他のデザイン手法があると思いました。飾りなら飾りとして表現する方が正直でいいのではないでしょうか。フェイクデザインもここまでくると、あらゆる事実をよりよく構築したいとしたとき、自分の設計デザインでどう取り入れたら良いのかわからなくなりました。
木のフェイクデザインについて
ここからは、飯山市文化交流館なちゅらとは関係のない話にとびます。
木材を利用したいとお施主様などから要望があっても、防火地域などで、不燃木材など高コストや耐火性能が要求されることから木材の利用を断念することになります。それでもやむなく選択することになり、木に似せた材料を使用するという手法が、木のフェイクデザインを選択する理由だと思います。
自分が設計するマンション設計では、お施主様の要望で、延焼ラインの関係で、外部のアルミルーバーに木目フィルムを貼って木に見せるデザインを設計したことがあります。
初めてのフェイクデザインには、自分が学んできた装飾を排除して機能的・合理的なデザインを理想とするモダニズム建築のデザイン哲学と相反するため、とても抵抗感がありました。もっと良い他の手法のデザインを、なぜお施主様に提案できなかったのかと、自分の力不足から後悔の念に苦しめられました。
しかし、木のフェイクデザインを肯定的にとらえる風潮が今は強くなってきていると思います。
なぜかというと、今と昔ではコピー技術が進化しているからです。
昔の木目プリントはニセモノであることがすぐわかりましたが、今は印刷技術が進化して木なのかプリントなのかすぐには判別できないほどです。
鉄骨構造体の周りを木で覆う木の接合技術も進化していて、木なのか鉄骨なのかすぐには判別できません。
美術の世界でも、フェイク・コピーと本物の価値が変わり、現代ではコピーや画像からその美術に触れる機会が増えたり、最初に見るのがコピーで、そこから本物へと興味が移るなどしてコピーが美術の間口を広げています。
それが、本物の価値も高めているというのが美術界のコピーの考えです。
別の考えでは、木のフェイクデザインがここまで到達するとレバレッジが効きすぎていて本物の価値を逸脱しすぎているように感じます。
例え話をしますと、 今まで金貨と交換取引していた貨幣交換が紙幣に変わるような大きな転換点のように感じます。
これは本当にたくさんの紙幣と交換して良いのか。価値のあるデザインと言えるのだろうか。 多くの人がこれは偽物だと気が付き価値を失う事は無いのだろうか。 とても悩みます。
躊躇(ちゅうちょ)して悩んでいる私と違い、隈研吾先生はサラッと乗り越えているように見えます。 建物自体に価値があるのか。金本位制 から移行して記号として表層だけに価値があるのか。
木材としての実体は無い記号化したデザイン。 この建物を見学させて頂いたとき、木材どころか柱や梁としての構造の実体すら無いものに価値があるとしているように見えて恐怖を感じました。 命がけの跳躍があるのではないでしょうか。
みんなが金貨と交換しているのに、自分が始めて紙幣と交換しているようなもの。そんな感覚がありました。
どうして日本だけ、木でない偽物がこんなに多用され流行するのでしょうか。
このことについて、こうも解釈できないでしょうか。
哲学者 ハンナ アーレントの全体主義です。
進化した木のフェイクデザインは、自発的に考えず世の中が良いという方向になれば、善悪を問わず、美醜を見分けず、自分の意志が介在することのないまま、流れに従っただけの風潮が後押ししているのでは、と感じます。
木のフェイクデザインは、『鉄やコンクリートより木は人間的でいいものだ』というだれでも思う価値観につけ込んだ悪、ハンナ アーレントの本当の悪は平凡な人間が行う『凡庸な悪』なのではないか、と感じました。
ハンナ アーレントの『思考の嵐』がもたらす考えることで人間が強くなる。
危機的な状況にあっても、考え抜くことで破滅に至らないようにしなければいけないのでは、と思いました。
下記の情報は2020年4月19日に収集した情報です。
飯山市文化交流館なちゅら
〒389-2253
飯山市大字飯山1370-1
TEL 0269-67-0311 FAX 0269-62-0054
Email : bunkakouryu@city.iiyama.nagano.jp
開館時間 9:00-22:00、火曜日休館
アクセス
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